cinema-yuka

うちのDigaが勝手に撮りためた映画、消化試合中。

ファミリー・ツリー

ファミリー・ツリー

監督:アレクサンダー・ペイン

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舞台はハワイ。常夏の楽園。深刻なことなんて何もないような綺麗な島で、主人公のマット・キング(ジョージ・クルーニー)は恐ろしく深刻な状況を抱えている。

まずは、妻が瀕死。ヨットレース中に事故に遭い、意識不明で生命維持装置につながれており、もう見込みがないと医者に言われている。これだけで常人にとってはストレスマックスである。絶望するしかない。

娘たちは難しい年頃で、妻が意識不明となった今、一人で手を焼くマット。下の娘のスコッティは10歳で、問題行動が多く、学校や友達の親から苦情の嵐。上の娘のアレックスは美人だけど、なんだか反抗的。家庭をあまり省みず仕事をしていたため、娘たちと困難な状況でどう向き合うべきか、困惑するばかりのマットにアレックスは告げる。ママは浮気をしていた、と…。

晴天の霹靂の妻エリザベスの不倫問題。問いただしたくても妻は昏睡状態。マットはおろおろするばかり。

一方、エリザベスが助からないとマットに聞いたアレックスはプールの水の中に潜って号泣する。無音。美しいシーンだ。

 

家庭の中で不在がちだった父親が、困難に立ち向かう中で、子供との絆を取り戻す、というテーマは、クレイマークレイマーを連想させる。忙しくて家庭をあまり省みなかったとはいえ、その外に夫の側に落ち度らしい落ち度があまりないところも一緒である。

不条理だ。マットは、そんな中、怒りや戸惑いに襲われつつも、感情を爆発させるよりも、ただただ不条理の中に立ち尽くす。

 

娘のアレックスに手伝ってもらって不倫相手のスピアーを探したりする、真面目なんたけど、どこか不甲斐ないマットが、なんだか不憫でかわいらしく、応援したくなってしまう。

 

とうとう不倫相手のスピアーを突き止めるマット。だけどというか、やはりというか、全然すっきりする展開にはならない。アレックスの彼氏が、相手の奥さんにおれだったらばらす、おれだったら金○を××する、みたいなことを言うけど、そうはしない。やっぱり現実はそういうわけにはいかない。大人で、他者への思いやりがあるから。スピアーは憎いが、不倫相手の奥さんは悪くないし、彼女も気の毒だし。妻の父親だって、きついことを言ってくるけど、それも娘を愛しているからこそだって、分かっているから。

主人公はすっきりするような行動は一切取らない。全てを飲み込んで、抱えて、赦す。かっこ悪いかもしれないけど、それが生きていくってことかなぁ、と思った。人生いろいろあるけど、とにかく生きて、生をつないでいくということ。

 

最後、不倫相手の奥さんが死にゆくエリザベスに感情を爆発させる場面と、マットがエリザベスを赦す場面は感動的。

 

そして、カウアイ島の土地の売却問題。古くはカメハメハ大王に連なる家系のマットが、今までご先祖様からつないできた大切なものを簡単に売ることはできない、と決断する。

仕事ばかりしていたマットが、妻の問題や娘たちと向き合って、不器用に家族を再生していくことで変わっていったのか。

 

ハワイの自然や音楽に包まれてさらりと語られるヘビーな家族のドラマは、深刻ながらもどこか爽やかさもあり、ほろ苦さもある、なかなか深い味わいの一本。

娘役のシャイリーン・ウッドリーも綺麗で可愛い♪(ナタリー・ポートマンにちょっと似ている?)ジョージ・クルーニーもくどすぎず自然で良かった。

ブルー・ジャスミン

 

ブルー・ジャスミン( 2013)

監督 ウッディ・アレン

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 かつてNYで裕福なセレブ生活を謳歌していた主人公ジャスミン(ケイト・ブランシェット)。全てを失ってサンフランシスコの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)のもとに身を寄せ、再起をはかろうともがくが、お金もなく、精神のバランスもおかしくなっていく中で、再び裕福な結婚をするチャンスが巡ってくるが…。

 

 富豪の夫ハル(アレック・ボードウィン)が詐欺で逮捕されて自殺。セレブ生活から転落して、見下していた庶民の妹に頼らざるを得なくなってしまったジャスミンだが、全てを失っても見栄を張り続ける。最初は滑稽なんだけど、徐々に滑稽を通り越して鬼気迫る感じになっていく。映画は、ジャスミンの過去と現在が交差しながら進んでいく。

 お金がないのだから仕事をしなければならないのだけど、紹介してくれた歯科の受付の仕事は嫌。雑用なんてしたくないとのたまい、学生に戻ると言う。勉強して何になるつもりだ?銀行でも経営するってか?と皮肉を言われるジャスミン。

ジャスミンとその旦那のせいで宝くじに当たって得た大金を失い、それでも姉を受け入れようとする優しい妹ジンジャーが、おしゃれだからセンスを生かしたら?と言ってくれて、インテリアコーディネーターという外聞のいい資格を取ることを思いつくジャスミン。しかしお金がないのでパソコンで勉強する、だけどパソコンができないからまずはパソコンスクールに通う、と言い出す。どんだけ遠回りだ!(笑)でも、ジャスミン低級な労働は嫌なんだもん!この期に及んで何様だという感じである。

 

 妹とその彼氏と彼氏の友達とジャスミンのちぐはぐなダブルデートや、結局歯医者で働き始めたジャスミンがきもい歯医者に迫られているところあたりまではまだ笑って観ていられるんだけど、お金持ちの外交官ドワイトと知り合って、再びセレブの夢を見だしてからはもう怖すぎた。ケイト・ブランシェットの鬼気迫る演技が怖すぎ演技うますぎ。ドワイトとのデートの時の上品で美しいセレブ風のジャスミンと、ぶつぶつ独り言を言っているときの狂気のジャスミン、同じ人には見えない!

 妻を亡くして独身、ゆくゆくは政治家になりたいと夢を語るドワイトに、ジャスミンは嘘をついてしまう。夫は外科医で病死、子供はいない、と…。

 

 ジャスミンはわざと嘘をついたのか?そうではないと思う。

 ジャスミンはセレブ時代と境遇は変わっても、本質的には何も変わっていない。彼女は、夫の事業の違法性や愛人の陰に気付きながら、無意識に目を瞑っていられる人だった。知らない方がいいことは知らなくて良かった。全て自分の都合の良いように思い込めた。外聞が何より大事で、自分を幸せなセレブ妻として演出することが上手だった。ずっとそうやって生きてきた彼女は、ほかの生き方を知らない。見栄とプライドと表面を取り繕うことが全て。どんなに惨めな境遇になろうとプライドを捨てられないのは、滑稽を通り越して狂気じみている。

 再び夢のようなチャンスが巡ってきたとき、彼女がついた嘘は、こうであればと自然と口をついてしまったのだろう。嘘はばれるにきまっているのに。苦い現実と過去の栄光とのあわいで、青い光の中で、現実から目を逸らしながら踊っている彼女には、それでも輝かしい夢しか見えなかったのだろう。

 

 本当は何か仕事がしたかった、私は他のカラッポな買い物フリークとは違う、とジャスミンは言う。知性もエネルギーもかつてはあった。だけど、裕福な暮らしと外面を維持するためにしか生きてこなかった。結果、精神を病み、外面だけのオバケになってしまった。人の目を気にして外聞だけで生きていると、自分はなくなる。いくら綺麗で裕福で憧れられても。それで勝ち逃げする人もいるだろうけど、中身はカラッポ。セレブ時代の友人達は夫の浮気も教えてくれず、お金がなくなれば一人もいなくなってしまう、表面上の付き合い。

 働いたこともないのに、見栄やプライドが高くて、現実が受け入れられなくて、周囲と齟齬をきたしてしまうジャスミン。でもそれって、元セレブのジャスミンだけかな?というとそうでもなくて、同じような部分を持ってる人は多いと思う。ただジャスミンはなまじ美人でセレブだったという過去があるのと、もともと虚栄心が強過ぎたこともあり、現実と折り合いを付けることができなかった。地道にやり直すことをせず、再び夢に生きようとしてしまい、全ては崩壊する。それに対して妹のジンジャーは、客観的な状況としては、美人でもなく、シングルマザーで、彼氏もブルーカラーで、不倫男にも騙されて、千載一遇のチャンスの宝くじのお金も失って、とジャスミンにも負けず劣らず悲惨な状況ながら、過去は過去、と逞しく生きている。馬鹿っぽいけど明るくていい子で、地に足が付いている。あらゆる点でジャスミンと対照的だ。


  嘘が発覚してドワイトに捨てられても、妹の前で最後まで見栄を張ってしまうジャスミンが、あわれなような、いやむしろ、あっぱれのような。「何もかもゴチャゴチャ」完全に発狂したジャスミンの独白で映画は終わる。ウッディ・アレンらしく、シニカルで苦いんだけど、最後まで狂って突き抜けるジャスミンがどこか爽快な映画だった。

主人公は僕だった

主人公は僕だった(2006)

監督:マークフォースター

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 歯磨きの回数やネクタイの結び方、バス停までの歩数まできっかり決まっている、毎日ひたすら数字に追われるようにきっちり生きている国税庁職員のハロルド・クリップ。ある日彼の頭の中にナレーションのような女性の声が響くようになり、彼の無味乾燥に安定した日々が綻びはじめ…。

 

題名は知っていたけど初見。意外にもとっても面白かった。悲劇のような喜劇のような絶妙なバランス感。映画の主人公ハロルドが、実は映画の中の小説の主人公で、というメタフィクションな話はよくある設定だけど、小説の書き手である作家(カレン・アイフル)の世界とハロルドの世界が同じ世界というのがユニーク。

 

最初はアスペルガーか?といった風情の全然かっこよくない朴念仁のハロルドが、死を避けるために、やがては避けられない運命にあらがいながら、よく生きることに挑むうちに、どんどん変わっていく。

ややご都合主義?人はそう変われるかな?という節もあるけど、どんどん味のある男になっていくのだ。

 

いつも最後は登場人物を殺す悲劇作家のカレン・アイフルエマ・トンプソン)は、黒い服を着て咳き込みながら煙草を吸い死神みたいな印象。もちろん彼女は自分が書いている小説の主人公が実在するなんて思ってもいない。

 

ハロルドのアドバイザーを務める文学理論のヒルバート教授(ダスティン・ホフマン)のキャラクターが良かった。

最初ハロルドをただの頭のいかれた男だと思って追い払うが、『知る由もなかった』という表現に食いつき(笑)声の主を探し死の運命を避ける手伝いをする。

 

セリフがいい。

カルヴィーノが言うように、全ての物は2つの顔を持っている。生命の継続と死の必然性ら悲劇なら君は死に、喜劇なら結婚する。」

 

ハロルドを助けてくれていたはずなのに、小説の結末に感動して、

「人は誰でも死ぬ。これほど抒情的で美しく意味のある死はないぞ!主人公は死ぬけれど、作品は永遠に生き残る。」

あれ~?見捨てるんだ!!!さすが文学理論の先生!芸術至上主義!!!

主人公が死にそうなんではらはしてるはずだけれど、思わず笑ってしまう。

 

朴訥なハロルドが恋に落ちるアナーキストなパン屋の彼女のアナ・パスカルマギー・ギレンホール)もいい。気風が良くて直情的であたたかい。マギー・ギレンホール、美人ではないけど不思議な魅力のある女優さん。見たことあると思ったらパリ・ジュテームに出ていたらしい。どの話だったかな。

 

ガラガラとハロルドの日常が崩れていくのを象徴するようにハロルドの住むビルがいきなり壊されたり、作家が世界を俯瞰しながら飛び降りる幻想を視るシーンも好き。

 

役者もいいし、映像も音楽もいい。最後まで小気味よくよく魅せてくれる映画だった。